原からかこんにちは、原からかです!
ちょっとだけしんみり(?)思い出がたりモードです。
パステルの図案を作って人に見せるっていう活動を長く続けていると、基本的に波風もなく穏やかな原の活動にもちょっとだけさざ波が立つような出来事もあるもので…。
「お絵かきってこんなに楽しい!」がスタンスの原ですが、これまでの活動の中でたった一度だけ、わりと本気で腹を立てた事があります。
それは、いわゆる「パクリ」にまつわる話です。
これだけ聞くと「パクられたから怒った話」みたいだけど、違うのよ!巷で言われる「自分の図案を盗まれたから」という単純なものではありません。
そこには、教える側として絶対に譲れない「筋」の話があります。
私が怒ったのは「パクられたから」ではない
きっかけは、フォロワーさんから届いた一通のDM。
「先生の絵にそっくりなものでレッスン募集をしている海外の方を見かけたので、念の為お知らせを」という主旨。調べてみると、そこには構図から色使いまで、私の描いたものと「たまたま被った」では到底説明がつかないほど、そっくりな見本が。
でもそれ、まだレッスン募集すらかけていないやつ。明らかに「私から習ったあと人に教える」人ではない。
正直に言えば、パステルアートの世界で「似てしまう」ことは非常〜〜〜によくある話です。
同じ画材で同じ技法だもん、題材が同じだったら似たような表現になるのは不可避。いちいちそこに目を光らせて「私のが先だ!」と主張することには意味を感じません。だいたい、他人に厳しく求めることは、巡り巡って自分の表現の首をも絞めることになるもんね。原もきっといろんな先人に「あ、これかぶってる」と思われているはずだし、でもそれを言われたことはありがたいことに一度もないです。
だから、たとえ私のものに「極端に」似ていたとしても、そこに「その人なりの試行錯誤(いわば咀嚼)」の痕跡が見えるなら、あるあるのことかな、程度で流したと思う。
でもその募集図案にはできなかった。なぜか?
「咀嚼」と「脳死」を分かつ、決定的な境界線
どうしても我慢ならなかったのは、その募集見本が、あまりにも「パーフェクト脳死の完コピ」だったことです。
色・配置・キャラの表情はもちろん、ちょっと書き込まれたデザイン上の文字まで。いや、そこはちょっと変えようとか思わなかったのか?
教える側が、誰かの図案を参考にする。それは無意識にも起こり得ることだし、仮にモラル意識が薄い人だったとしたら「やらないほうがいい」とは気づいていないのかも知れない。
けれど、そこから自分のレッスンとして世に出すまでには、必ず「自分の手で試し、自分なりの楽しさのポイントを見つける」という咀嚼の工程が必要なはずです。
「このアイテムはこっちに配置したほうが私らしい」とか、「この塗り方は少し難しいからこう変えよう」とか。
(明らかな「真似」を許容するという意図ではないよ!そういう人もいるだろう、という意味ね)
そうやって自分の頭と手を通した結果、わずかでも「自分らしいしずく」(他に言い方が思いつかなかった笑 要はエッセンス?)が混ざるはず。それが教える側が持つべき、参加者さまに対する誠実さだと思っています。
件の募集には、その痕跡が皆無。 咀嚼もせず、ただ表面だけをすくい取って写し取って「自分の仕事」として売る。その姿勢は、参加者さまに対して「借り物の体験」を売る行為であり、講師としてのプライドの欠如です。
私が腹を立てたのは、図案完コピそのもではなく、「教える」という行為をあまりに軽んじられたことに対してでした。
腹が立ったので、その図案を「無料公開」にした話
原、自分の思う「筋」が通されないことが、どうしても我慢ならないタイプなもんで…。 お相手の海外の方にDMを送り、コメントもしましたが、結局返答もなく投稿は消され、新たに別の投稿で募集を続けていました。
(ちなみにDMでは、止めてと伝えたわけではないよ、どうしてこの表現にしたか聞いたの。無視されたけど)
そこで、原なりの筋の通し方をすることにしました。
すみやかにその図案の描き方と型紙を配布して、期間限定で「無料公開動画」として出しました。
だって、腹が立ったからね。
納得いかない筋のねじれを是正するには、これしかないと考えました。
それをもって、自分の中の決着としました。
講師としてのプライドは、生徒のためにある
その後その方の募集に人が集まったのかどうかは知りません。
ただこの経験を通じて改めて確信したのは、講師の価値は「どんな図案か?」じゃなくて「どれだけ価値ある体験と胸を張って言えるか」に宿るということ。
つまり、「ここをこう塗るのが、すごく楽しいってあなたに伝えたくて」という熱量に裏付けられた自信。
誰かの真似から始まってもいい。 けれど、そこには必ず教える側の「意思」を乗せてほしい。
自分の指先で悩み、考え、選び取った表現には、誰にも盗めない価値が宿ります。その誇りを捨ててしまったら、もう講師として教える楽しさは残らないんじゃないかなぁ。
そんなことを考えた出来事でした。
ちなみにこれ、かなり人によって地雷ポイントが違う話題でもあるので、これはあくまで原の感じ方の話なんだなと思ってもらえると嬉しいです。たとえば、「表現者」としての誇りを強く抱いている人なら、真似されること自体を剽窃と感じるだろうし。



原の地雷は、「講師として手渡したいエッセンスの不在」だったんだね
あなたの内側で何が「ゆずれない大事なポイント」か考えてみるのもいいかもね。
最後までお読みいただきありがとうございました!








