「これでいいでしょうか?」オリジナルを作る怖さと、「お墨付き」のうちわけ

原からか

こんにちは、原からかです!

少しだけ真面目な講師の頭の中モードの記事です。興味ある人お付き合いくださいね。

活動を続けていると、生徒さんやフォロワーさんからこのような質問をいただくことがよくあります。

「オリジナル作品を作るには、どうすればいいですか?」

「こういう表現をやっても、大丈夫でしょうか?」

質問される方の気持ち、すごくよく分かります。

パステルアートのように「型や手順を教わる」ジャンルでは、まず先生から正解をもらい、その通りに再現することが最初のステップだからです。

そのプロセスを丁寧に通ってきたからこそ、いざオリジナルを作ろうとしたときに、無意識に「誰かからの許可」や「正解のお墨付き」を探してしまうっていう構図なんだと思います。

もちろん、技術的なことや権利関係など、詳しい人に確認した方がいいことはたくさんあります。でも、今回考えてみたいのは、それとは少し違う「お墨付き」のこと。

自分の作品なのに、最後の「これでいい」を誰かに決めてもらいたくなる気持ち。

今回は、その「お墨付き」の中身と、オリジナルを描くときに避けて通れない「孤独」についてのお話です。

目次

「安心」を外側に求め続けてしまう構造

「これで大丈夫ですよ」「合ってますよ」と言ってもらえると、人はホッとしますよね。

だからこそ、自分より知識や実績があると感じる人に対して、無意識に「許可」や「保証」を求め続けてしまうことがあります。

世の中の商材には、この「安心したい」という気持ちに応える仕組み(講座)や人物(コンサルタント)がたくさん存在します。

誤解のないように言っておくと、それら自体が良くないと言いたいわけではぜんっぜん!ありません。ノウハウとして役立つものだと思います。

ただ構造として少し俯瞰して見た時に、「正解が分からなくて不安な状態」に対してお金を払い、「これで大丈夫」という一時的な安心を買っている側面もあるんじゃないかな、と。

原からか

このあたりが難しいところなんだけど…

知識や技術を得るために学ぶことと、自分では決められないから誰かに決めてもらうことは、似ているようで違います。

新しい講座を受けて、知識が増えて、できることが増える。それは素敵なこと。

でも、知識が増えてもなお、「誰かに大丈夫と言ってもらえないと作品を外に出せない」という状態が変わらないなら?

今度は別の先生、別の講座、別のアドバイス…と、形を変えて「安心を与えてくれる誰か」を探し続けることになるかもしれません。

もちろん、誰かに教わりながら、安心できる環境の中で描き続けることも、ひとつの楽しみ方です。どんなふうに創作と付き合っていくかは、その人自身が決めること。

ただ、「自分のオリジナル作品を作りたい」のならば、いつかは自分で決める場面がやってきます。

他人から意見をもらうことはできる。でも、最後の「これでいい=決断」まで、ずっと他人に預け続けるわけにはいかない…ってことです。

原からか

最後に決めるのは常に己一人なのです

オリジナルというジャンルが抱える、絶対的な孤独

そもそも、なぜ私たちは「大丈夫ですよ」と言ってもらいたくなるのか、ちょっと内省してみましょう。(あんまり楽しくないけど笑)

もちろん理由は人それぞれでしょうが、「自分で決めた結果を自分で引き受けることへの怖さ」、これは結構大きいと思います。もちろん私も怖い。

自分の名前で、自分の内側から出たものを世に発表する。

それって本来、めちゃくちゃ孤独な行為です。

誰の保証もありません。「絶対に評価される」なんて約束はどこにもない。時間をかけて一生懸命描いた作品が、誰の目にも留まらずにスルーされるリスクを、常に抱え続けることになります。

もちろん、制作の途中で誰かに相談したり、意見をもらったりすることはできます。それによって作品がもっと良くなることだって、たくさんあります。

でも、どれだけ相談しても、その作品が世の中にどう受け止められるかまでは、誰にも保証できません。

「これで本当に大丈夫なのかな…」という確信を持てないまま、手探りで作品を外に差し出す。

オリジナルを作るというのは、表現の楽しさだけでなく、その「怖さ」や「無保証さ」をまるごと抱えて進むことなのだと感じます。

ここでいう孤独は、誰にも相談できないとか、誰の助けも借りてはいけないという意味ではありません。

たくさんの人に助けてもらっても、たくさんの意見を参考にしても、最後に「これが私の作品です」と差し出すのは自分自身。その部分だけは、誰にも代わってもらえないということです。

原からか

誰かが「きっと大丈夫」って言ったとしても
結果大コケしたとしたら…?
その誰かは責任を取れません
ケツモチはいつも己一人なのです

「外側に答えはない」と腹をくくること

この構造に気づかないまま、「もっと確実な方法」「絶対に失敗しないノウハウ」を探し歩いていても、根本的な不安が消えることはないんじゃないかな。

どれだけ知識を増やしても、どれだけ経験豊富な先生に相談しても、「絶対に大丈夫」という保証までは手に入らないからです。

だからこそ、「外側に絶対的な安心を求めるのは無理なんだ」と適度にあきらめる(腹をくくる)ことが、ひとつのスタートになるのだと思います。

ここで言う「あきらめる」とは、ネガティブになることではなく、「存在しないものを探し回る無駄をやめる」という現実の受け入れのことです。

もちろん、学ぶことをやめる必要も、誰かに相談することをやめる必要もありません。

ただ、「誰かに正解を保証してもらうため」ではなく、「自分で判断するための材料を増やすため」に学ぶ。この違いは、結構大きいんじゃないかな。

リスクや怖さを無理に排除しようとするのではなく、「オリジナルを描く以上、この怖さはセットなんだな」と受け入れた上で、画用紙に向かうこと。

誰のお墨付きもないまま、自分で決めてみる。

そうした小さな経験を重ねるうちに、少しずつ他人の判断基準から離れて、自分自身の足で作品を世の中に差し出せるようになるのだと思います。

たとえその足が生まれたての子鹿のようにプルプル震えていても、それが一歩目!

原からか

怖さを抱えたまま描いた一歩にこそ、あなただけの表現が宿るんだと思うよ

最後までお読みいただきありがとうございました!

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